essay

妊娠、出産、産後の子育てに関する事等、今の私自身の想いを書いています。

 


女性のからだが「命の玄関」になる日.

 

 ハワイで式を挙げ、産後はクカニロコのパイナップル畑を越えた場所にある王族生誕の地で「バースストーン」に触れていました. 出産体験を機に「命」や「性~ジェンダー」への関心を強め、神聖なる大地で生命の未知なる学びをさらに加速していた頃です.

 

 海外の出産教育の教科書では、お産を登山に例えて説明が書かれています.例えば、「お産に関する知識も自分で産む意識も無く、出産当日をただ迎えるという事は、登山初心者が無知のまま、何の準備運動もせずに軽装で富士山に登る事と一緒のこと」といった具合にです.もう、まさに私のこと! と深く頷いて読んでいました.

 

 そして、どうしてこんなに大切なことを学校でちゃんと学べなかったんだろう?と素朴な疑問が生まれます.また、出産時に生じた感情のしこりは、その後の子育て期にもずっと影響が及ぶと知り、お産と女性のQOLとの関わりが非常に密接であるということも、さらに私の関心を強めていきました. 

 

 欧米では、出産の日を楽しみに待つ妊婦さん達がいる一方、日本では「出産」という言葉のイメージが、つわりや陣痛などネガティブなものに捉えられがちで、不安感の強い女性が多くみられます.出産は子育ての原点で新たなる人生の幕開けでもあるというのにもったいない……、ポジティブな情報が少ないのは残念です.

 

 きちんとした知識と意識を備えた上で迎える出産の日(生命誕生の瞬間)は、まるで富士山を登りきった時の頂上と同じくらいの景色が見えるはず!(登山経験ゼロの私が、勝手なイメージで言ってますが……) 出産は女性の身体が命の玄関になる生命の神秘!と私は思ってますので、ぜひ出産を日を楽しみに迎えたいと考えている方に、私のレッスンを活用してもらえたら嬉しく思います.

 

 気づけば、我が子もあっという間に成人してしまいました.この間の自身の子育てを振り返ると、子どもを取り巻く環境や支援の施策も随分と変化したように思います.「今さら、子育てや養育を母親任せにするのは不可能」との幼児教育学者 小川博久氏(*1)の言葉がなんとも印象的ですが、母親の努力・子(孤)育てだけではもう限界だと、私自身も深く頷けます.

 

 母親たちが職業を持つ時代に、その女性の受胎から産後1年間までのプライマル期と、それ以降の保育支援までがしっかりと充実していくことをこれからも願い続けます.

 

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 いつか親になるかもしれない未来の大人が、自分で産む、産まないをきちんと選択し、どちらを選択しても明るく健康で生きていける社会であって欲しい.その上で我が子には、どんな環境でも物怖じせずに外交的に育ってくれたら、それだけで私の子育ても捨てたもんじゃないと、ようやく思える様になりました.

 2023年4月のこども家庭庁発足において、今後も未来に沢山の子ども達の笑顔が溢れる事を期待します.

 

 *1)「保育学研究」 第49巻第 1 号  2011

 https://www.jstage.jst.go.jp/article/reccej/49/1/49_KJ00007406819/_pdf



命と性のこと、大切な事だから、わざわざ伝えます.

 

 2011年の活動開始からあっという間に10年が過ぎました.

この10年間で自殺は2.7倍に増加しているとの文部科学省のデータ.「しんどい」子どもがなお増え続ける現代の日本において、いじめ問題も本当に深刻さを増しているように感じます.

 

 活動を続ける中で、「性のことや、命がなぜ大切かなんて、子どもにわざわざ伝える必要ある?」という大人からの貴重なご意見も頂きました.性教育と聞くと、どうしても性交教育として捉えてしまいがちな私達大人ですが、グローバル社会を生きていくこれからの子ども達がきちんと自分らしく幸福度高く生きて行く為には、やはり「性と生殖に関する健康」=リプロダクティブ・ヘルスの知識を持つことも、今後においてもより一層重要ではないかと私は思っています.

 

※さらにリプロダクティブヘルスに関する詳細を知りたいへ→ JOICFP(ジョイセフ)ホームページも参考になります.

 

 性教育は主に「いのちの教育」として、①いのちの成り立ち学習(生命誕生や死の教育)、②生き方学習(総合学習としての食育・戦争体験の学習など)、③いのちにふれる体験学習(赤ちゃん抱っこ体験、妊婦ジャケット着用などの妊婦体験学習)、④防災・安全教育(地域防災教育、性被害防止教育)として分類されています(*2). 私はこのうち①と③のジャンルをメインに関わってきました.性教育の現場で出会う教職員が試行錯誤しなが工夫を凝らして実践されていることにも頭が下がります.

 

 しかし近年では、様々な専門家や保護者からの賛否両論によるご指摘も多く、「大切なことだから」と子ども達へ伝えたい教職者たちの情熱が、しぼんでしまっていることは非常に残念でなりません.

 

 ある東京都内の小学校では、1クラス(約35人編成)のうち発達に問題のある子が2人、貧困家庭の子ども5人、LGBT3人、そこに多国籍の児童も存在しているとのこと.これは子ども学(学校環境)研究者に伺った話ですが、現代の多様な家庭の子ども達に今後もいのちをどう語って伝えていけばよいのか、こうした答えを出すのもまた簡単ではありません.

 

 それでもやっぱり、衝撃的な子どもの自殺、他殺、いじめ問題の報道が流れる社会において、何度も何度も切り口を変えながら性のこと、命のことをきちんと伝えていく必要が大人にはあるのではないかと考えます.私もこの難題に真摯に向き合いながら、教育現場だけに任せるのではなく、完璧ではなくとも今の最善を考え、地域の信頼できる大人としての活動を、歩みを止めずに継続していきたいと思います.

 

 世界的パンデミックによりすっかりと時代が変わりました.私はこの間に、イギリス、スウェーデン、ベトナム、ドイツと手軽にアクセスする事が可能となり、様々な交流を経て学びを継続することが出来るようになりました.「子どもが自殺するなんて、ありえない!」と驚かれるたびに胸が痛みますが、子ども達の幸せとはを継続して考えながら、生命の神秘「あなたの誕生は本当に素晴らしかった」と今後も変わらず伝え続けて行きたいと思います.

 

*2)季刊セクシュアリティ「いのちをめぐる現在」エイデル研究所.2012 p12.,(立教大学教員 朝日春夫)

 

 

 



学校現場に、表現アートセラピーを

 

 先日、小学校6年生の授業でお話を終えた後に生徒達と一緒にカード作りを行いました.これは、芸術・表現アートセラピーのトライアル導入ですが、このカードの裏面にはそれぞれ中学校生活で困難にぶつかった時のために、自分へのエール(応援メッセージ)を書きました.

 

黒の画用紙に、ゴールドとシルバーのペンを使ったオリジナルカードの創作時間は黙々と作業が進行し、無心になれる心の解放時間をみんなで過ごしました.コロナ禍だからこそ、こうした時間を重要視したいと感じたからです.

 

これが感性の「性」・個性の「性」だよ!と、説明したところ納得してくれた様子.命を大切にするということは性を大切にすること.男性、女性といった性別だけでなく、適性も、性格も、自分の「性」をしっかり見つめ、自分らしさを発揮できて初めて命を輝かせて行けるいうことを伝え、最後にこれからの未来の自分をイメージしてもらいました.

 

 欧米では現在、医療、心理臨床、カウンセリング、ソーシャルワーク、看護、教育、宗教などの幅広い分野で表現アートセラピーが用いられています.その期待できる効果には、心身の開放、創造性の高揚、自己発見の促進、問題解決能力やコミュニケーション能力の促進などがあると言われていますが、日本においては表現アートセラピーの取り組みはまだ始まったばかりの様です.子どもだけでなく成人にも、高齢まで無意識へ働きかけが可能な為、心の問題だけに注目されることなく心身の癒しにも効果的であると言われています.

 

 自分は芸術とは縁がないと思っている人にも素晴らしい機会の提供となり、ありのままの自分を表現することや、自由を取り戻し表現する喜びも体験していける、そんな活動がいつか日本の教育の世界にも導入される日がくると素敵だなと思っています.

 

※トライアル導入にて活用した手法:Person Centered Expressive Arts Therapy 

 

 

 


  童話の世界を生きる

 

 子どもの頃に出会った本は、いつまでも記憶に残るものです.私のお気に入りは「エルマーのぼうけん」.トラを夢中にさせるチューインガム、ライオンのたてがみをすく櫛、さいの角を磨く歯ブラシなど、主人公のリュックの中はどれもが楽しさを含む道具ばかりで、それらを使って猛獣と対決するシーンはユーモア満載! 迫真力のある場面が鮮やかに想像でき、私は何度も夢中になって読んでいました.

 

 この本の作者であるルース・スタイルス・ガネットさん(愛称:ルーシー)は、物語の最後にはどうしてもエルマーも竜も、無事に家族のもとへ返してあげたかったとのこと. 幼少期に親の離婚を経験し、十三歳で寮生活を始めて家庭での生活も終了した作者自身の家族に対する深い想いが感じられます.

 

「家族は『血』ではなくて、『作る』ものなのよ」との作者の言葉には、血がつながっていなくても家族になれること、またそれとは反対に、たとえ血がつながっていても、互いに働きかけなければ家族にはなれないという意味が含まれています.父の再婚相手をもう一人の母と認め、二つ家族があることを幸運と受けとめた幼いころの努力、さらには困難を慌てふためいたりせず、人生というゲームに真剣に取り組み、楽しむ力を子ども時代に育んだ作者だからこそ、こんなに素晴らしい作品を生みだせたのだろうと、改めて大人目線で読んで感じた一冊です.

 

読み終えた時の爽快感と、なんとも言えぬ優しさを感じながら、幼少期に「童話の世界を生きた経験」という人生の宝物をまた一つ見つけたような気がします.